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「起業するしかない」という選択

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今日の写真:高円寺、東京 「a.m.m.s」のオーナー瀬尾さんと http://ammsclothing.com/

 

2010年4月、タイ・バンコクで暴動が起き、日本人ジャーナリストが殺害された事件を覚えている人はどのくらいいるのだろうか。

わたしと瀬尾さんはまさにその最中に、その現場にいた。

実際に到着したときの深夜のバンコクは、タイの旧正月の真っ只中。

暴動を取り囲む警察官と、旧正月で大騒ぎして水鉄砲を所構わず通行人にひっかける地元の人達とーかなり異様な雰囲気だったことを今でもはっきりと覚えている。

しかし、そんなリスクを背負ってでも、「お互いの店の仕入れ開拓のために」

私たちはタイへいく、という決心をして訪れた。

一緒にいる3人の女性たちは、バンコクで知り合ったタイの知人たち。

「カオサンロードに止まるから大丈夫、なんとかする」と言った私に

「一番危ないところじゃないの!心配だから二人とも私の家へ来なさい。助けてあげるから」と言ってくれたのがそのうちの一人、Dao(瀬尾さんの左隣にいる女性) だった。

Dao はバッグのデザイナーで、初めて一人でバンコクに行ったときにチャトウチャックというフリーマーケットで知り合った。そのとき、あてにして行った仕事仲間がなんとdrugholic(薬物中毒)になっていた、ということがバンコクに入ってからわかり、誰もあてにできない中で 「えーい、こうなったら一人で動いちゃえ。なんとかする」と無理やり強行突破した買い付けの旅。

巨大なチャトウチャックマーケットの中でも、彼女のバッグはずば抜けて洗練されていてクオリティも高く、目が釘付けになった。「今日はお客さん少ないから、あまり持ってきていないのよねぇ」と言っていたが、それでも私はそこにあった彼女の商品を殆ど全て買い付けた。

というのが、私たちの出会いである。

 

あれから3年後、

私は店を閉め、普通の会社員として働き

瀬尾さんは、お一人で頑張って店を続けられ

Dao はアメリカの大手セレクトショップのバイヤーに見初められ、以前よりますます会社も大きくなり、東京で展示会出展のために今回、日本に訪れて久しぶりの再会となった。

展示会の間の3日間、わたしはこんなに恥ずかしい思いをしたことはない。

何が恥ずかしかったのかというとー「今、自分が起業していないこと」である。

2006年から2010年の4年間、ひとりで走り続けた店を閉めた理由はー資金繰りにとても苦労したからだ。

開業したばかりのときに、声をかけてきたネットショップ製作の営業の口車にのせられてしまい、抱えた負債は600万以上。

あのままひとりで店を続けていたとしても、そのプレッシャーとストレスでいずれ自分が壊れることは明らかだっただろう。

この3年間は停滞したが、借金完済まであと少しまできた。

それだけあった借金もほぼ9割方完済し、大きな初期投資をかけて開業するというリスクを再び持ちたくはないがー これだけ周りが成長しているのに、まだ自分は何もしなくていいのだろうか。

展示会終了後、Dao が 「あなたに、日本代理店のCEOとして動いてもらいたい。やはりあなたは私のことよくわかっているし、とても気が合うから」と 言ってきた。

どこに、それを断る理由が見つけられるのか。

これから、わたしが彼女たちのためにもできることはーやはり起業しかない。

誰からも賃金をもらわない。誰からも雇われない。

一度起業して、いい所と悪いところが痛いほどよくわかっているので「将来の大きな夢のために頑張ってます!」などと愛想をふりまくつもりはないが、

「起業しかない」という選択

この舵取りに向かって、物事の流れが自然に動いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本で「ありがとう」と言ってもらうのがむずかしい理由

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今日の写真:原宿、東京

ありがとう。

これ以上に便利で素敵な言葉、なかなかパッと思いつくのは難しい。

あるときは優しく、
あるときはきりっと、
そしてあるときはセクシーに、

ありがとうの一言で
物事は大きく変わる。
ということに気がつき、

毎日、必ず1日1回誰かに「ありがとう」と言ってもらえることをしよう、と決めた時期があった。

電車の中で席を譲る、
ドアに人がいたら、後ろの人が通るまで開けて待ってあげる。
階段の上り下りが辛そうな人がいたら、助けてあげる。
その他もろもろ。

2週間くらい続けただろうか、
残念ながら、「毎日ありがとうプロジェクト」はあっけなく挫折した。

正確に言えば、今も続けてはいるが
期待はしていない。

何に期待をしていないのか、
「ありがとう」と言われることである。

なぜなのか?

日本では、「ありがとう」ではなく
殆どの人が「すみません」と言うのである。

すみません、とは
謝るときに使う言葉ではないのか?

なぜ、謝られなければならないのだろう?

これは、大きなカルチャーショックだった。

という私は、決して帰国子女でもないのだが

「ありがとう」と前向きな言葉のエネルギーを期待して
「すみません」とネガティブに言われ続けると

気分がへこむ。

それで「毎日ありがとう運動」は幻に終わった。

日本では、日常挨拶でも
「すみません」から始まることは珍しくないが

海外で「謝る文化」を持ち込むのは、不利になる。

外国かぶれをしろ、というのではない。

言葉には力がある。

言葉には魂がある。

ネガティブな言葉を使うと、生き方もネガティブになる。

だから、ちょっと待って

「すみません」と言う前に

その言葉、「ありがとう」って言ってみようよ

 


会いたい人には会いに行こう

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写真:フィンランド:白夜(midsummer) の夜

今まで、他人だと思っていた人が実は親戚だったとか、
どこかでつながりのある人だったとか、
そういったことが、時々起きることがある。

たまたまそれを、知ってしまった
でも、相手はそれを知らない。
伝えるべきか、どうするか。

普段、何万マイルも離れている距離。
頭のどこかで、おぼろげにわかっていても
じゃぁ実際に会おうとなると、急に戸惑いの壁に押されるような違和感を感じて

「今まで他人だったんだから、別にいまさら会わなくていいじゃん」

そう、そういう選択視もある。

何もしない。
何もアクションを起こさない。
だってついさっきまで、会ったこともない赤の他人だったのだから。
何も変わらない日常。
それはそれでまた、一つの現実として起こりうる。

以前から、新聞の記事を見せられ
「この人は、お前の親戚なんだよ」
と言われたことはあったけど、

相手はヨーロッパのどこかに住んでいるらしく
今、連絡を取らなければ永遠に接点もない。
親戚だと言われても、日本には
「遠くの親戚より近くの他人」という、便利なことばもあるのだから。

今後二度とないかもしれない、その人の来日。
知ることができるのは、
新聞に載っている記事の情報だけ。

会うべきか、どうするか。

勇気をだして、
その人に連絡をとってみた。

なーんだ、
意外と簡単だった。

相手の方は、日本にいる間の連絡先を教えてくれた。
来週、東京で二人で逢うことになった。

相手が著名人だったり、有名人だったり、雲の上の人だったり
「この人が私に会ってくれるなんて、100%ムリ」
と思ってしまう状況だったとしても、
まずは、相手に連絡してみること。

自分が、「この人に会えるなんて・・」と思い込んでいるだけで
実際、その壁は幻かもしれない

そして、「人に会う」アクションが起きると
今まで気がつかなかった、色々なことが周りだす。

だから、会いたい人には会いに行こう。
素直に「あなたに会いたいです」という気持ちを伝えよう。

こう言われて、嫌な人はいないのだから。


「経営者」としての高橋 歩

 

おととい、適当にfacebookを見ていたら誰かのページから「わたしも高橋 歩のようになるんだ!お金持ちになるんだ!世界中行くんだ!」とやけに力んで書いてあるのを見つけ、「高橋 歩って誰?」って思った。

すぐに検索したら、「元祖自由人」。

4人家族で4年間の世界一周を終え、本を出版し7月9日、東京でトークショーとある。

この日は夜仕事が入っていていつ終わるか読めなかったのだけれど、なんとなく気になって今日、飛び込みで行ってみた。

中学校のときはヤンキーで大学を中退(そもそも、本当のヤンキーは大学に進まないはずなんだけどね)、トム・クルーズの「カクテル」に感動し仲間4人で店を立ち上げることを決意、そのときにかかる費用600万円を4人で折半し、1ヶ月で620万集めてバーを開店。

しかしすぐに経営難に陥り、半年たらずで閉店の危機を迎える。

4人で肩を落としていたときに目に入ってきたセブン・イレブンのポスターで「人生が変わり」、

「どうせ苦しい思いをしてやるんなら、人がどう思うかとかじゃなくて思いっきり好き勝手にやっちまえ」ということで開き直り、経営の方向転換をした結果、2年後には4店舗バーを経営するまでになる。

その「人生が変わった」ポスターというのは、「佐川急便」の「やる気と気合で、今日からあなたも月収40万」というキャッチフレーズ。

「んだよ~!4人でさ~、3ヶ月佐川で稼げばすぐに借金全額返せるだろ。いざとなったら佐川行け、佐川。だから金の心配しないで、好き勝手にやっちまおうぜ~」ということで即決したらしい。

その後高橋 歩はバーの会社を譲渡し、23歳で「自分の自伝」を出すために出版社を設立し、営業のノウハウは本屋に飛び込んで見よう見まねで学び、出版社が軌道に乗るとまた会社を売り払い、結婚。再びプータローになり夫婦で世界一周。その10年後、今度は子供2人も連れて世界一周。そして今後はハワイへ永住予定、4年間の世界旅行の間子供が学校へ行っていないので、自分の子供たちのためにハワイで学校を作りたい、というのがこれからの計画かな・・・

と、内容はこんな感じだった。

参加者は殆どが学生か20代、30代といった感じだったけれど、みんな目をきらきらしながら聞いていた。多くの人はこの人の「元祖自由人」な姿を魅せつけられ、そこにポイントをあてた質問をしていた人が多かったけれど、この人の根っからの本質はそこにあるのではない。

高橋 歩ーおとといまで知らなかったけど、この人、すごい。

何がすごい、って、「経営手腕」である。そして、その裏側をけっして人に見せることはしない計算高さである。

まず、いくらまでが「自分が動かせるお金なのか」を本質的にわかっていること。そのパターンとやり方は変えず、内容だけを変えていること。だからインドで学校&ゲストハウスを立ち上げる事業を立ち上げようが、ニューヨークでカフェをしようが、沖縄で自給自足できるオリジナルビレッジを設立しようがーいつどこで何をしてもうまくいくのである。うまくいかなかったらうまくいくまでやる、それだけであると言い切れるシンプルさもすごい。

彼にとっての「出資額」-それは、一事業につき約300万。それ以上コストがかかる事業は、どんなに魅力的な場所で有益だったとしても彼は決して手を出さないだろう。

そして、それにかかる「ヒト」を、みんなで夢をかなえよう!という同じ目的をシェアして、「ボランティア」というお金をかけない手段で動かしていること。しかし出来上がったプロジェクトは、確実に利益がでるように計画していること。

「脳みそスパークしたら、ただやるだけなんだよ」

そうやって終始ヤンキー口調で話していたけれど、私にはこの人の「自由人」な部分より、「経営者」としての部分に魅了されてしまった。日本にも、こういう entrepreneur (起業家)がいたんだね。まだまだ、世界は広くて知らないことばかりなぁ・・・

高橋 歩さんについてもっとお知りになりたい方はコチラへ↓↓
高橋 歩さんの公式HP