言葉が違うという理由で、大切な人との関係が終わるとき

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今日の写真:West Asheville

 

今回、はるばる日本からシンシナティを経由して、アッシュビルという小さい街に来たのは
仕事があったから、ということに間違いはないのだけれど

こんな「アメリカの大きな片田舎」の中では私一人では「何もできない」のであって
サポートしてくれる人が、もちろんいるからなのです。

その人と先ほどー
これ以上、お互いを理解しあうのは難しい、という話をしていました。

理由は「その人の英語が充分に理解できない」ことでミスコミュニケーションが生まれ、
アッシュビルに着いてまだ2日目なのですが、
「言葉の受け止め方」のあまりにも大きな違いを受け入れるためには、「英語という、ひとつの共通した言語で充分にやりとりできない」
というのが大きな障害となり、

お互いにいらいらとしたものを感じていることを、腹を割って話し合いました。

この人とは以前から信頼関係が出来ており、お互いのことをよく知っているのですが
残念ながら、相手は日本のことをほとんど知りません。
日本という国に対して、アメリカ人独特の「偏見」を持っているようで
説明したくても、私の英語力はそういうことを十分に伝えられるほど流暢ではない。

ここアッシュビルは、アメリカの南部の小さな街で
英語のアクセントも独特です。
ニューヨークやロサンゼルス、ハワイというような「なにかあった時に”逃げられる”場所」が存在しているわけではないため
身振り手振りを使っても、そのジェスチャーすら理解してもらえないことがあるわけです。

2年半前、ここを訪れた時は
その違いを「とても楽しんでいた」のですが
おそらくそれは、「英語というものを、コミュニケーションというものをきちんと理解していなかった」

英語というのは
上達すればするほど
正確な語彙力、正しい言葉使い、文法、発音の流暢さ、高いコミュニケーション能力、ユーモアや冗談を理解できるウィットさが問われます。

「英語が話せなくても」
世界中の人と仲良くなるのは可能ですし

海外を相手に仕事をしていれば
「お金が動く」という過程でそこから人間関係が作れることも多々ありますが

それでも「相手と質の良いコミュニケーションをどう取り続けるのか」ということになると
最終的には、「どのくらい自分が英語が(または相手の人の母国語)が話せる能力があるのか」 ということが最も大事になってきます。

「言葉が違う」という理由で、大切な人との関係が終わるとき

人によっては「本当に大切な人だったり、大切なことだったら言葉はいらない!」

と、声を大にして言う人も多々いらっしゃるとは思いますが

やはり「言葉は大事」です。

10年間、独学で英語を勉強してきましたが

改めて「言葉の勉強に永遠に終わりは来ない」のですね。
2年半、海外で現地の言葉を聞いていなかったので
独特の言い回しやアクセントが理解できず、苦戦しています。
また、振り出しからやり直し。
でもーこんなことでネガティブになっている場合じゃない、
明日からまた、他の知人とも再会するので

こうなったら徹底的に「 Original from Japan」(日本から来た日本人)で大和魂をだすしかないかなぁ。。

 

読んで頂き、ありがとうございました。

 

「日本のために、世界のために何ができるか」
10000か所を周るプロジェクト
くどう みきこ

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