10000回の「遠くからの言葉」より1回の「あなたの行動を」 石巻・被災地に行って感じたこと

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今日の写真: 宮城県石巻市小金浜
「小金浜会館」近くにて
左端: 「石巻復興を考える市民の会」副代表 鈴木 安夫さん

 

 

みなさんこんにちは、くどうみきこです。

今、石巻に来ています。

今月、東北にボランティアに入ろうかな・・・と考えていた時に海外から知人が訪れてくることになり

「せっかく行くのなら、ひとりで行くよりふたりで行った方がお手伝いの幅も広がるだろう」と思い、知人と共に昨夜の夜行バスで新宿からはるばるやってきました。

 

朝7時前石巻に着き、1時間に1本でている石巻線の渡波(わたのは)駅で下車し、途中道に迷いながらも30分くらい歩いたところにある「小金浜会館」の近く。

そこは、「のんびりとした、小さな街のいつもの風景」に変わりありませんでしたが

ところどころに垣間見える「この震災が残していった、命への課題」。

早朝から直面するにはあまりにも痛々しい「景色」を、少なからず感じたことをお伝えしなくてはなりません。

 

今回、ボランティアをしながら写真を撮る時間がなかなか取れず、ビジュアルからお伝えできることが少なくて申し訳ないのですが、震災から2年7か月たち、石巻の街も平穏さを取り戻しています。

今回、お世話になったのは「石巻市復興を考える市民の会」の代表 藤田 利彦さん、 副代表 鈴木 安夫さん。

到着してすぐに代表の藤田さんが出迎えてくださり、現在の石巻の現状をお話ししてくださいました。

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上の写真は、「小金浜会館」の入り口の壁なのですが

うっすらと横線があるのがわかりますでしょうか?

 

震災後多くの建物が崩壊し、復興した中に残る数少ない 大震災の傷跡です。

この壁にある線まで2m以上はあるかと思いますが、震災当時、津波がここまで来ていた=この小さな町がここまで水没していたという証拠なのです。

あれだけテレビ報道やニュースでも見ましたし、震災直後に仙台市内へボランティアに入った時に当時の大きな混乱に大変ショックを受けたことを覚えていますが、

この壁にある「うっすらとした1本の横線」は、それ以上にひどい惨状だったことが一目でわかり、

この災害が残していった問題と悲しさを、改めて感じざるを得ませんでした。

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今回お手伝いをさせて頂いたことは、被災者やボランティアさんが安心して集まってお茶が飲める【場】を確保しようと、藤田さんのご自宅の一角を使ってそのためのスペースを建築中なのですが、私たちが作業を始める前はとにかく人手不足のために骨組みもままならない、という状態でした。

隣に仮設された「部品の寄付によって建築されたお風呂場」も、業者の工事がうまくいっていなかったようで新しい浴槽が付けられているのに水を排水できないため、未だにお風呂に入るのにも不自由を強いられている生活。 

そのためにまた修理費がかかってしまうのですが、震災後2年7カ月がたち

人手も、資金も、マンパワーも何もかもが追い付いておらず、

その修理費もままらない生活。

現在の石巻の一部では、未だにこういう状況が続いているのです。

 

至る所で、

まだまだ東京に伝わってくる情報とは大きな違いがある、ということ

震災から月日が流れ、被災地に笑顔が戻っていたとしても

建物や、津波によって崩壊された所々のか所から垣間見える、被害の生々しさ。

 

私たちは、ひとりひとりの日本人として

この震災の被害の大きさと、事態の深刻さを

色々な場所で、そして色々な立場で受け入れ、そして出来る範囲のことを

被災地の人たちに「少しでもお役に立てるように」

つねに心のどこかで意識していると思います。

しかし、被災者の現場では

近所の方や支援者の方たちと交流を持つように心がけ、前向きに生活をしている地域はいいのですが

笑顔を忘れ、周りとの交流を持たず仮設住宅でひっそりと暮らしている人たち

長引く疲労からの体調不良、高齢化により外へでるのもおぼつかず、選挙へ行こうにも行かれない人たち

「現地の現状を直接見たり、現地の声を直接聞いてもいないのに」

上からの指示や「自分たちの利益還元」に振り回されて、机上の空論ばかりしている一部の無意味な個人や団体、

自分が興味のあるボランティアしかやらないで帰ってしまう人たち

 

東日本大震災が残していったものは、自然災害だけではなく、

残念ながら「後天的な人災」も大きく残していったのです。

 

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今回の作業の様子です。

藤田さん(写真左)のご自宅の外に、新たな事務所を作るために木材を組み立てる作業を行いました。

屋根を作るために、柱を水平に立てなくてはならないのですが

いつもこれらの作業を藤田さんと鈴木さんのお二人だけでされているそうです。

作業自体は、けっして複雑なものではなく規模もそんなに大きくないものでしたが

とにかく「人が足りない」。

スムーズに作業するためにあと1人ずついたら1時間で終わる作業が、その「あと1人」がいないために

数カ月もかかっていたところに、今回わたしと私の知人の2人でお手伝いをさせて頂き

人数がいないと進まない「重要なか所」をなんとか終えることができました。

藤田さんは、とてもバイタリティがあり、多くの人たちから信頼を寄せられているのがすぐにわかりましたが

震災が起きてからの2年7カ月、殆ど休みを取られていないとのこと。

副代表の鈴木さんも、震災後心臓の病気を患い

月に1度、東京都内の病院で治療を続けながら石巻で毎晩遅くまで作業を続けられているとのこと。

お二人の姿を見ていて感じたのは

とにかく「休んでほしい」。

被災地のために、被災地の人たちのために「石巻市復興を考える市民の会」として

骨身を削って、毎日重労働をされていて

「自分たちが休むことで、仮設住宅で動けなくなっている高齢者やわざわざ遠くから訪ねてきた被災者をがっかりさせるのは申し訳ない」と藤田さんはおっしゃっていましたが

まず、「毎日そこまでしている自分自身を、ご自分で褒めてあげてほしい」

でないと、もし藤田さんが倒れてしまったら

「誰が」藤田さんの代わりができるのか?

 

「今回、初めて訪れてこんなことを言うのは大変生意気かもしれませんが、

藤田さんの代わりは誰も務まりません。

まず藤田さんの心身を、労わってください。

わたしは、人として藤田さんのお体が心配です。」

ということをお伝えさせて頂きました。

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事務所の組み立て作業は夕方の5時過ぎでなんとか峠を越し、その後仮設渡波北部第一団地に移動し、炊き出ししていただきました。

この仮設住宅は11棟と小さいのですが、「せめてご飯はみんなで食べよう」と

周りの人たちとの交流も盛んで、この日は富山県からも応援が来ていました。

たいへん美味しい豚汁や栗ご販、日本のお惣菜を前に

今回、海外から来た私の知人も「自分の国でこれだけの日本食を食べるのは不可能だから」と

日本の食卓に満足していたようです。

 

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石巻駅近くの海辺。震災後、倒れた石碑はそのままになっている。

 

東日本大震災が起きた2011年3月の2週間後、仙台市青葉区にある児童預け入れ施設のボランティアに入ったのですが、

仙台市内は津波の被害はなかったとはいえ、見た目はダメージを受けていない家屋の隣に全壊して見るも無残な建物があったり、「物が何もない」 白い壁しか見えないコンビニの入り口の前に「釣銭を盗んでいく人がいるから」とゴミ箱が置かれていたり、「メイン通り」の夜の仙台・一番町の繁華街が、今は暗闇が多くて「女性は狙われるから気を付けてください」と忠告を受けたり、被災者救済施設が足りないのでラブホテルがその代わりとして長い間貸切になって滞在先として企業に押さえられていたり・・・

日本でも、こんな事が起きているなんて・・・と絶句したことを今でも覚えています。

そんな中でも、「仙台市内は津波が来なかった分まだいいんです。テレビでどういう報道がされているのかわかりませんが、外部から来ていただくボランティアの方だけでなく、私たち地元の人間でも近づけない場所があるんです。そういう場所にはむやみにいかないでください。そんな無理をするのなら、東京で働いて税金を納めてください。それが、私たち被災者を救出するための大きな手段になるのです」

その後、再び東北に来るまでこれだけの時間がかかってしまいましたが、

今回、拙い私たちのお手伝いでもお役に立てたようで、このためにわざわざチェコから来てくれた友達も喜んでいると同時に、海外で報道されていない「実際の震災の現状」を目の当たりにして色々な違いを感じていると思います。

 

時間の経過とともに減り続けるボランティアの数。

—被災地は、地元で手作りしていかなければいけないんです。まだまだ皆さんの力が必要なんです。

実際に被災地を見てもいないのに、上からの指示の言いなりで全然地元の現状をわかっていない人たちの意見をうのみにしたり、メディアやインターネットの情報だけで「被災地って、今こうなっているんだ」と思いこまないでほしい。僕たちの心身も限界に来ているくらい、まだまだ何もかも足りない状況なんです—

 

新たなことに挑戦するのは大事なこと。

世界へ飛び出たっていい。

しかし、その前に「灯台」のことを忘れてはいないか。

今、石巻で、東北で、

そして日本で、何が起きているのか

もう一度、考えてみようよ。

大きな事じゃなくていい。

まずは小さいことから、もう一度「何ができるのか」

その集結が、大きな力となる。

 

これからの日本のために、そして世界のために何ができるか

行動を起こし続けていくために。

 

「石巻市復興を考える市民の会」 facebookページはこちら ↓

https://www.facebook.com/pages/%E7%9F%B3%E5%B7%BB%E5%B8%82%E5%BE%A9%E8%88%88%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E5%B8%82%E6%B0%91%E3%81%AE%E4%BC%9A/342817802446519

 

 

↓ そして、「あの日を忘れないで」

「日本のために、世界のために何ができるか」
10000か所を周るプロジェクト
くどう みきこ

 

※追記-

2015年4月3日、一緒に東北を旅をしたTomasは交通事故で急逝したと、彼の知人から連絡を受けました。

Tomasとは3年間の間に5カ国を一緒に旅をした「いちばんの親友」であり、時には「共に手を取り合ったパートナー」であり、そしていつも遠く離れた家族のようでした。

遠い異国の地での急な知らせに、私はお葬式に行くこともできませんでしたが

Tomasは、ここで書いた東北の旅を「楽しかった」とずっと言っていました。

Tomas、私はあなたと知りあい、何度も一緒に旅ができて幸せでした。どうもありがとう。

天国でも、旅を続けてください、私の代わりに。

Dear Tomas, Thank you so much for our friendship. Please enjoy your journey in heaven and I will never forget you in the lifetime. Miki

 


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